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多くの大人は自ら自由な生活を捨てている

ニュースレターに関するお知らせあり!

早速本編を読みたい方はこちらから→ 多くの人は自ら自由な生活を捨てている

みなさん、こんにちは

このメールを携帯から送信している、僕はグリルでチキンを5キロ焼いています。

アメリカで人生で初めて一軒家に引っ越してから、約1ヶ月毎週チキンを焼き続けてかなり焼き加減の調節や味付けが上手くなりました。かなりの量食べても毎月150ドルくらいで済むのでかなりいいです。

日本もアメリカもヨーロッパもどこにいても、大抵暑いと思いますが、みなさんが少しでも快適に過ごせているといいなと思っております。

夏といえば、夏休み。僕は夏休みの宿題は最後の1日で全てやる(終わらなければ諦める)タイプですが、みなさんはどうだったでしょうか?

子供の頃を思い出すと、車でどこにでもいけて、自分でお金を稼いで好きなことに使えるそんな”自由な”大人に早くなりたいと思っていたのを思い出しますが、そんな僕も今となってはそんな大人になり、生活のほとんどの場面である程度は自由を獲得したわけですが、意外と生きていて自由に感じることって少ないよな。

ふと、そんなふうに思うことがあり、

これはなぜだろうと考えていた結果、

「子供の時に思っていた”自由”は大人にとっては自由ではなく、大人にとっての自由というのはもっと他のところにある」

という結論に至りました。

そうです。この『大人にとっての自由』が今回のニュースレターに本編としてつけている長文です(今週のは普段のより少し短いですが)。

25歳になると、子供の時に思い描いた自由は大抵手に入るけど、これは自由じゃなくて、大人にとっての本当の自由に気づき、これを追っていかないと、モヤモヤした生活を送ることになるぞ。とそんな文章です。お楽しみください。

また、感想や意見もいつものようにお待ちしています。メールに返信いただければ必ず返します。

本編とは別に、もう一つ、つい最近再認識したことで激動のAI時代にもう一度考えることが重要だと感じることについて書きます。

未来がどうなっているかなんてわからない前提で人生を設計する必要性とその難しさ

見出しの通りなのですが、未来がどうなるのかなんて誰もわかりません。

事実、僕の母は僕が10歳の時にくも膜下で32歳にしてなくなって当然この世の中には戻ってこないわけですし、明日自分の足と手が全部ついてる保証なんてありません。

ただ、ここで話したい「未来がどうなっているかなんてわからない」というのはこういう1か0か見たいな話ではないです。

僕自身、明日死ぬか生きてるか、五体満足がどうかなんか気にしてたらそれこを人生もったいないと思っています。

では、どんな「未来がどうなっているかなんてわからない」を強く考えるべきかというとそれは

「国や通貨、仕事のあり方など、個人レベルではなく社会的なレベルで未来がどうなるかわからない」

という観点での未来に対する不確定性です。

正直、ここ2年間のAIとそれがもたらしている影響を目の当たりにするまで、こういった社会レベルの変化もいうてもそこまで早くはないし、生きてる中で起きてもせいぜいスマホがメガネやコンタクトになりMetaverse的な何かが日常になる程度かと思ってました。

が、これはAIの速さを見れば間違っている可能性が高いと考える方がオッズが低いくらいに思えます。

産業革命が起きた時に馬車を引いていた人たちが、車が主流になるわけがないと思っているうちに取って代わられたように、今の常識は数年後の常識ではない可能性は高く、この数年がもしかしたら数ヶ月後の可能性すら感じます。

今の形としての国がなくなるとか、通貨が完全になくなってBitcoinが基軸通貨になるとか、そんな話だって全くないとは言い切れません。

とはいえ、ここまでの社会的な変革を起こる前提で生きていくのもまた的外れでそれはそれで危険というかToo Muchだと思います。

重要なのは「今の当たり前を数年、数十年先の当たり前である前提で計画を立て続けるのは危険」というのを再度認識した上で、自分の中である程度こうなるんじゃないかと思える未来へ向けたベットをし続けることだと強く感じます。

僕個人の最近考えていたケースの話をするなら、

  • 日本円の価値が他の通貨に対して上がる未来はやはりあまり見えない。

  • アメリカは金を稼ぐ場所やキャリア面で挑戦する場所としてはいい場所だが、やはり楽しく過ごすなら日本かな

  • アメリカで雇用される側としてい続けると一生ビザの奴隷になるから、スタートアップに挑戦した方が、多方面から見て向こう3年間の使い方としてはベストかも

など、さまざまです。

アメリカのビザなんかはいい例で、これまでは不利な場面は多いが、それでもまだ働く側としてそれなりの希望や有利である点もありましたが、ここ数ヶ月のAIの進歩やビザの情勢の変化で、今となってはそうでもないです。

このように、その人が今置かれている状況や国、家族構成や何を大切にしたいか、それぞれのコンテクストの中で、「今の常識は近い未来形を変えていることを想定し、自分の中で最も納得のいく想定しうる変化に向けての準備、計画を進めていく」ことは大切です。

別に不安に感じることはないと思いますし、不安に感じるならそう感じないように動くしかないのは事実です。ただ、最近これについて考えて自分の中でもこれからのアメリカ生活での指針をなんとなく再調整できたので、僕のニュースレターを読んでくださっている80人強の方にもそう言ったきっかけをここで得てもらえたらいいなと思います。

いくつかお知らせ!

①アメリカで3年間、プロダクトマネジャーとして働いた総括をnoteにしました。

ここから読めるので、よければ時間のある時に覗いてみてください。

これからもアメリカでの経験などちょくちょくnoteにまとめて行こうと思ってるので、よければフォローしてお待ちください。

②アメリカでの生活や文化について話してるポッドキャスト更新してます。

毎週1話更新目標で更新してるので、よければチェックしてみてください!

Episode5 『アメリカ現地就職を深掘り』のエピソードで、以前間違ったファイルをアップロードしていたのに気づいたので、差し替えました。

③ちょっとだけ、ニュースレターの配信の仕方を変えます。

毎週ニュースレターを送ることに変わりはないですが、簡潔にいうと文章の長さと新鮮さをアップデートします。

というのも、これからいよいよアメリカでの「修士+インターン生活」が始まるのに加え、本格的にこっちでスタートアップにも挑戦して行こうと考えています。

これに際して、今の感じでかなり長めに読み物として編集などを加えた文章よりも、長さとしては短いものから中くらいで、よりライブ感があり、生の経験やそこからの学びに近いものを毎週シェアした方が、僕から届ける価値もより新鮮なものになると考えます。

感覚としては本レターで書いた未来の不確定要素について考えるくらいのボリュームのものが1〜3つほど届きます。

ぶっちゃけた話、今まで本編として書いていたものは書きながら何度も構成を変えたりしたりしながら1週間で書き終えずにそのせいでレター自体を送れない週もありました。(今週も週末遅めになってしまいました。すみません!)

これからはそんなことはなくなります。そして、僕の文章のスタイルや根本的な思いは変わりません。むしろ、より、確実に届けます。基本的に配信のタイミングはアメリカの土曜朝(日本の土曜日の夜、ヨーロッパは土曜昼かな?)になります。

これからも「読んだ人に考え、行動し、そして変わっていくためのきっかけを与えらるもの」を書いてお届けしますし、週によってはこれまでのようなかなり長い文章を書くこともあるのでこれからもよろしくお願いします。

いつも、読んでいただき本当にありがとうございます。

では、また来週!

Cheers,
Toma

本編まだな方はこちらへ👇

25歳にもなれば誰でもある程度の自由を手に入れる。
しかし、多くの人がその自由を簡単に放棄して、自分は自由じゃないと文句を垂れるようになる。

親元を離れて一人暮らしをして数年、
自分で稼いでそれなりの給料をもらって数年、
社会人のリズムにも慣れて、金銭的にもある程度の余裕ができてくる。

就活のプレッシャーもなければ、生活に口を出してくる親もいない。
どれだけ夜更かしして何時間TikTokを見ようが、
朝からピザを食べようが、
ジムに行かずにダラダラしていようが、
誰も指図してこない。

旅行にだって、休みさえとればいつでも行ける。

子供の頃に憧れた”自由”は全てここにある。
親の束縛から、最低限の金銭的な束縛から、抜け出したいま、
あなたを止めるものは何もない。

でも、現実として「自分は自由だ」と感じる人はかなり少ない。
これは多くの人が「選択肢を持つ自由」を本当の履き違えていることに起因する。

僕自身、割と最近になってこの『履き違え』をはっきりと自覚し、頭の中で整理することができた。

アメリカでプロダクトマネジャーとして働いておよそ3年経った時、レイオフに合った。
ビザの更新などが重なり、アメリカで就労できない期間ができてしまい、何もないアメリカの田舎で毎日24時間の”完全に自由な時間”ができた。

ボスからの指示はないし、毎日9時からのスタンドアップもないし、ビザの手続き等の最低限のもの以外は特にこれといった義務もない。

では、この”完全に自由な毎日”の中で、本当にフリーダムを感じたかというと、別にそうでもない。
むしろ、しばらくはなんともいえない、何をしたらいいかわからない状況が続き、逆に不自由に感じるまであった。

ただこの時に得た無限に思える時間にぼーっとしていた時に一つのことに気づく。

ほとんどの人がなんとなく自由は時間や選択肢を持つことだと思っているが、実際は本当の自由は他にあるということに。

本当の意味で自由な生活

このコンテクストでの自由には大きく2つの自由がある。
これが『選択できる自由 (Availability Freedom)』と『選択する自由 (Agency Freedom)』の2つ。

似て非なるこの2つの自由を履き違えると、自ら自分で自由を手放すことになる。

『選択できる自由』とは、つまり制限からの解放のこと。
子供として親の庇護下に合った時には門限、お小遣いをはじめ、習い事や通う学校などといった制限からの解放。

そして、『選択する自由』とは、つまり『選択できる自由』を行使すること
自分の頭で考え、自身の決断と行動を他に委ねることなく、自分で選びコントロールし、そのすべてに責任を負うこと。

いうまでもなく、本当の意味でのフリーダムを与えてくれるのは『選択する自由』であり、多くの大人が自由を感じない理由は『この選択する自由』を行使せずに、放棄しているからである。

「自由でない」と感じるのは環境のせいでも親やお金といった制限のせいではない。
問題は、自分の自由意志で思考し、選択肢を整理、吟味し、決断、そして行動していくことを放棄した自分にある。

無数の選択肢が与えられようが、それを自分の意思で選ばずに流されて、他人や社会に言われたままに行動していては、どれだけ選択肢という意味での自由が増えようが一生自由ではない。

そして、このイマイチ自由でないと言った感覚に嫌悪感を覚えるのは、あなたがそこになんとなく見えている可能性に近づきたいと思っているのに、それに向けた決断や行動を行っていないから。

つまり、いってしまえば『選択する自由を行使する=自分で決断し行動を起こす』ことであり、なんとなく不自由で不満を感じると言った状況を抜け出すには、自分で決断して行動していくしかない。

ここで冒頭に戻るが、25歳にもなれば人生のあらゆる面において、圧倒的に選択できる択が増えることで、それだけ決断が億劫なものになったり、一つの決断をすることで捨てることになる選択肢が多くなる。

こういった理由から、多くの選択肢が見えていながら、なかなか現状から抜け出してより良い択をとるという決断をしてそれに向けて動くことが難しくなる。

結果、「自由なはずなのに不自由」という違和感を抱えたまま日々を過ごすようになる。

逆にいえば、いつの間にか惰性に流されていた自分を引き戻して、自律的な決断を積み重ねて積極的に選択する自由を行使していけば、「惰性でなく、自分で推進していく生活」を取り戻せる。

ここからは、そんな生活を取り戻すための自律的な決断を少しでも簡単にするための視点と戦略をシェアしていく。

自由への鍵は毎日の小さな選択

選択する自由を行使すると言った意味での決断もあくまで身につけられる一つのスキル。

他のスキルと同じように小さな練習の積み重ねをすることで、身につけていける。

自律的な決断をするというと何か人生での大きな決断をしないといけないように聞こえ、それだけでものすごく億劫に感じるかもしれないが、最初から大きな決断を下すことばかりに意識を向けなくていい。

転職するか、起業するか、引っ越すか、留学するか
のような人生を変えるような大きな決断は実際に存在するし、
これらを下さないといけない時もある。

でも、現実にはそんな大きな決断を毎日できるわけではない。
そして、大きな決断もまた、小さな選択の積み重ねでしか成立しない。

たとえば、「朝型になる」という決断をしたところで、

「夜更かしをするか早めに寝るか」
「朝アラームを止めて二度寝するか」
「朝起きてスマホを開くか、顔を洗うか」

のような小さな決断を下せないと意味はない。

後から見れば大きな決断となるようなことも、「今この瞬間にすぐに結果に影響を与えれる行動を起こす」
という小さな選択を自分で選び続けることでしか形をとらない。

つまり、選択の自由の行使する力、決断力の正体とは、結局のところ「小さな選択の反復」に他ならない。

そして、これらの小さな決断は必ずしも大きな決断を必要としないのもまたいいところ。

誰もが定期的に、起業をするか海外留学するかと言った重大な決断をする必要はない。

今例に挙げたように、朝方になりたい、少し痩せたいなど、軽いことでもなんでもいい。

重要なのは自分の意思での行動が全くない「なんとなく」の自動操縦生活を避けるために、小さくてもいいから毎日の中で1つでも2つでもいいから、アクセスできる情報や自分が持っているリソースをもとに自分の中で納得できる決断を小さくてもいいから積み重ねていくこと。

これだけで、本当の意味で自由な日々に確実に近づける。

僕らが「自由じゃない」と感じるのは、
選択肢がないからじゃない。
選択する習慣が、日々の中で失われているからだ。

何かを選ぶたびに、他の可能性を捨てなきゃいけない。
だから決断が怖くなる。
でも、人生はいつだって「今ここでの小さな選択」の連続でしかない。

未来を変えるような大きな決断も、
今この瞬間の小さな選択の積み重ねでしか作れない。

選択できる自由は、誰にでも与えられる。
でも、選択する自由は、自分の手でしか取り戻せない。

その自由を取り戻すのは、
「今日は朝5分だけ早く起きる」
「スマホを手に取る前に、一回深呼吸する」
そんな一見しょうもない選択を、自分の意志で積み重ねていくことだけ。

惰性の人生から、自分で推進する人生へ。
まずは目の前の小さな決断と行動から。

僕らが「自由じゃない」と感じるのは、
選択肢がないからじゃない。
選択する習慣が、日々の中で失われているからだ。

何かを選ぶたびに、他の可能性を捨てなきゃいけない。
だから決断が怖くなる。
でも、人生はいつだって「今ここでの小さな選択」の連続でしかない。

未来を変えるような大きな決断も、
今この瞬間の小さな選択の積み重ねでしか作れない。

選択できる自由は、誰にでも与えられる。
でも、選択する自由は、自分の手でしか取り戻せない。

その自由を取り戻すのは、
「今日は朝5分だけ早く起きる」
「スマホを手に取る前に、一回深呼吸する」
そんな一見しょうもない選択を、自分の意志で積み重ねていくことだ。

惰性の人生から、自分で推進する人生へ。
そのスイッチは、いつでもあなたの手の中にある。

Claim agency. Claim freedom.

ー Toma

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